平成16年(2004)4月、江の島、富士山、相模湾を一望する湘南に「新江ノ島水族館」がオープンしました。 「わくわくドキドキ冒険水族館」をコンセプトに、海の生物の不思議「発見」、また実際に触れて知る「体験」もできる、 子供はもちろん大人も楽しめる水族館です。 展示施設には、相模湾を再現した大水槽があり8000匹のマイワシの群れや全長約2mのエイが悠々と泳ぐ様子が見られます。 謎の多い深海生物を展示するうコーナーもあり、日本初の長期飼育への挑戦は関係者からも注目を集めています。 また、サンゴ礁の水槽には、「森林よりもCo2を吸収するサンゴは陸上も守っている」など、 それぞれのエリアに環境を考えた「自然にやさしいメッセージ」が添えられています。 ショー・スタジアムでは、イルカ、アシカなどがダンサーと一緒にパフォーマンスを繰り広げられます
明治時代にこの場所に庭園を 築いたサムエルコッキング氏にちなみ、 国際交流をテーマに平成15年 4月再整備されました。 明治期の貴重な遺構を紹介する エリアなどがあります。
旧展望灯台の老朽化に伴い、平成15年4月、サムエルコッキング苑と同時期に再建されました。 展望スペースは高く広くなり、360度の大パノラマを楽しめるようになりました。
奥津宮に至る道の左側に建ち、市重要文化財に指定されています。 36匹の猿と数匹の蛇が彫られた珍しい石塔です。
江の島島内にある江島神社の3つの宮の本社で田寸津比売命(タギツヒメノミコト)が祀れ1206年に僧良真が荘厳な社殿に遷宮しました。 現在の社殿は1976に改築されたものです。
市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)が祀られ慈覚大師が853年に創建しました。 商人・歌舞伎界から寄進された石燈籠などがあり、古くからの江の島詣での盛況さがうかがえます。
多紀理比売命(タギリヒメノミコト)を祀り、岩屋のご本尊の夏季避暑地でした。 神門の天井には江戸時代の画家酒井抱一作の「八方睨みの亀」が描かれています。
大森貝塚の発見者として著名なエドワード・S・モースが東洋初の臨海実験場所を江の島に開設し、様々な海洋生物の研究をしました。 この江の島がわが国の海洋生物学の発祥の地となったのです。
土産物屋が並ぶ江島神社の参道の入口に建つ青銅の鳥居は1821年に再建されたもので、市の指定文化財です。 両柱には数多くの寄進者名が彫られ、江戸時代の信仰の深さを今に伝えています
第四代台湾総督で日露戦争では満州軍参謀長として勇名が高い児玉源太郎大将を祀った神社です。 勝運の神の神社として大正7年に建立されたもので、拝殿前の狛犬は台湾の人達から寄進されたものです。
高野山最福寺の別院です。平成5年5月5日に創建されたもので、本尊にある赤不動像は6メートルの堂々たる高さです。 国宝級の手刺繍の作品などが常設されています。
鎌倉相承院の稚児白菊がこの淵に投身したことに由来してこの名が付きました。 ここから眺める夕日は大変美しく、神奈川の景勝50選にも指定されています。
長い歳月を経て波の浸食によりできた岩屋は第一洞窟と第二洞窟からなり、一説には富士山まで繋がっているといわれています。 洞内には浮世絵や竜神伝説のオブジェなど、江の島の歴史と文化を体感できる演出が施されています。
「天女と五頭龍伝説」に基づき創られたもので、永遠の愛を祈るカップルが多く訪れる名所となっています。 平成8年に建てられ、その趣旨に賛同された方々の名前が銅版に刻まれています。
山田流箏曲の開祖、山田検校の百年忌に、幸田露伴らの手により大正6年に建立されました。 像はしばらくありませんでしたが、平成16年に復元されました。
長い歳月を経て波の浸食によりできた岩屋は第一洞窟と第二洞窟からなり、一説には富士山まで繋がっているといわれています。 洞内には浮世絵や竜神伝説のオブジェなど、江の島の歴史と文化を体感できる演出が施されています。
盲目の杉山検校がこの石につまづき転んだ時、偶然拾った竹筒の中に松葉が入っていたことから管鍼術を考案したといわれます。 以後ここで物を拾うと幸運を授かると伝えられ、この石は福石と呼ばれるようになりました。
奉安殿内に安置されている江の島弁財天は日本三大弁財天の一つに数えられ、鎌倉時代には戦勝祈願、江戸時代からは芸能・音曲上達祈願と信仰の目的が変遷していきました。
毎年7月中旬に行われる江の島天王祭は夫婦神である八坂神社と腰越の小動神社が年一回海上渡御にて会いに行く勇壮な祭りで、神奈川の祭り50選に選ばれています。 現在のお社は平成13年に1450年記念事業の一環として造営されました。
本尊は日蓮上人。 創建は延元年(1336~1340)。 日蓮の弟子日法上人が日蓮聖人像を安置したのが始まりとするなどの諸説があります。 鎌倉時代後期、日蓮は『立正安国論』を示し、法華経を唱えることによる国家安泰を説きました。 この活動に不安を覚えた幕府は、日蓮を龍の口にて処刑しようとしますが、 この時、江の島の方から大きな玉のような「ひかりもの」が処刑場に飛んできて、 斬首役人はおののきひれ伏したと伝えられています。 もともとこの処刑に異論を唱えるものも多く、 処刑は中止となり日蓮は佐渡へ流されるが、やがて鎌倉に戻ってきました。 現在も日蓮が入られ土牢が残っているほか、境内には神奈川建築物百選に選定されている五重塔もあります。